オタクを論じたオタク本のような気がするが
これは10年ほど前の代物だが、過去を振り返ってみるのも悪くないと思って読んでみた。まず、この書物の最大の欠点は、概ね「制服少女」の生態にしか言及していないことである。パンツや女子高生を買うオヤジの生態はほとんどノータッチなのだ。これを社会現象として扱うのなら、当然両方の分析を行わなくてはならないはずだ。もうひとつは、現代人は、自己を既定する共通の前提を失って指標もなく浮遊する不安定な個であり、現代の女子高生もその例外ではなく、それが不特定のオヤジと関わる心理的機制である限り、そこから生じうる自己変容に対する免疫をつけさせる必要がある。即ち、彼女らは夢遊病患者のように援助交際・パンツ売りへと走っているのだから、それをやるにせよやらないにせよ、そこには常に自覚的選択の意志が伴うべきであるという主張である。だが、彼女らは本当に「ふらふら」と幽霊のようにパンツを売ったり・オヤジと寝たりしているのだろうか。私は、そこはそんなに断定しないほうがよいのではないかと思う。ただ宮台は、不特定の男と惰性で性関係を結ぶことにより、特定の「男」との安定的な関係を樹立できなくなる可能性を示唆している。もし宮台の意味するところが対幻想の崩壊であるのなら、それはありうると思う。それにしても、中間部の新人類やらオタクやらの類型分析はそれ自体がオタク的作業のよう見え、これほど人間というものをカテゴリー化して考えてよいものだろうかと疑念を禁じえない。いずれにせよ、宮台というのはバカなのか利口なのか解らないような男である。私は、宮台より若いがどうも、彼は私とは異なる精神空間にいるような感じがするのである。うなずけるところも多々あるのだけれど。
「大人たち」
宮台真司の本は、友人に薦められて読んだ『まぼろしの郊外』に次いで2冊目である。図らずも先に書かれた方を後から読んでしまったが、本書が出版されてから5年経っているにも拘わらず新鮮な印象を受けるのは、著者の鋭い視点・分析と、この5年の間にこの分野に関する議論がまともに進展していないことをあらわしているものと思われる。読書子自身、社会学には大きな関心を持っているわけではなく、社会学、あるいは世相を論じる報道・ルポルタージュの類はたいして目にしていないことを留意した上で言えば、一般に「大人たち」にとって理解不能な行動をする「若者」や「少女たち」を、「大人たち」が自己満足できる捉え方でしか捉えようとしていない現実は、マスメディアから、あるいは「大人たち」の会話から未だに垣間見ることができる。 本書を読んだ多くの読者が宮台に求めるであろう回答、すなわち「制服少女たち」に対する「大人たち」の接し方は、「おわりに」に書かれている。宮台の「ワクチン戦略」は、自分よりも下の世代に対し、自分たちの理解できない彼らの行動を、すべて若さあるいは無知ゆえの「未熟さ」に帰結を求めることに警鐘を発しているように思う。自分たちの信じている社会的規範、場合によっては極めてあいまいな規範をしっかりと相対化した上で、下の世代が自ら選択できるような、そして決して誘導的でないような判断の材料を提供することが、「大人たち」からコミュニケーションを断絶しないための選択肢であるように思う。 (書評執筆は'00年)
今読んでも面白いです
高校時代にこの本を読んで、大学では社会学を勉強しようと思いました。それほど説得力のある本だったと記憶しています。ブルセラ社会学者とも呼ばれたり宮台さんは現在も精力的に活動していますが、彼の初期の著作であるこの本を読むことで入門になるかもしれません。
講談社
サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の30年とコミュニケーションの現在 不純異性交遊マニュアル 終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫) 制服少女たちの選択―After 10 Years (朝日文庫) まぼろしの郊外―成熟社会を生きる若者たちの行方 (朝日文庫)
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